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「大学を卒業してどのように生きるか」、その模索の中で民青同盟東京都委員会で働くことになりました。
私が大学を卒業した2009年は、社会に張り巡らされていた「自己責任論」に対して、青年たちが反撃に出つつある頃でした。また社会的には「ネットカフェ難民」が注目されたり、リーマンショックによる「派遣切り」が大きな問題になっていました。そうした中で゛まともに生活できる仕事を“を旗印に「全国青年大集会」といった運動も行いました。
民青同盟で働き、労働問題や学費問題などに取り組み、青年運動の発展のために毎日を送っていました。そうした中でもっとも大きな出来事はやはり2011年の3.11でした。その頃は働き始めて2年ほど経っていましたが、「自分がどれだけ力になれているのか」と悶々とする日々の中でした。
そんな時に東日本大震災が発生、全国から青年もボランティアに駆けつけるようになります。私の勤める民青同盟も宮城県石巻市に独自にボランティアセンターを立ち上げ、青年ボランティアの受け入れ活動を行いました。私は宮城県石巻市に最初に1か月、その後も交代で何度か滞在し、救援活動に奔走しました。
目の前にいる被災者の救援活動に取り組む中で、「たとえ微力でも、自分は困っている人を助けたいという思いがあるからこそ、民青同盟や共産党の活動に取り組んでいるんだ」と自分の原点を再確認、悩みも多いが頑張るしかないと吹っ切れました。
被災者の「仮設住宅の設備をなんとかしてほしい」などの要望を届ける中で、改善も実現するなど大事な経験も生まれました。頻度こそ少なくなってしまいましたが、被災地支援には今も取り組んでいます。
2014年、5年間専従職員として勤めた民青同盟を卒業し、日本共産党都議団事務局で政策スタッフとして新たな任務につくことになりました。前年おこなわれた都議選で日本共産党が17議席に躍進し、スタッフの手が足りなくなったためです。
私は環境問題や都市開発問題、経済問題の部署に所属して政策・立案活動に従事しました。また都民の方から寄せられる相談に応えることや、議会に寄せられる陳情・請願について調査することも大事な仕事でした。実際に現地に行き、住民の実態を聞きとることもよくありました。
中野の野方商店街では、消費税増税がされる前の2014年2月に植木都議と一緒に実態調査に入りました。